このカフェなしでは生きられない

このカフェなしでは生きられない

カフェ・セラピー

今朝思い立って自転車をこいでゴゴまで行ったら、久々のモーニングに間に合った。モーニングなんていつぶりだろう? あの頃は注文しなくてもコーヒーとバナナを出してくれたお姉さん。「ここはねえ、そんなあなたたちの愚痴を聞く場所よ~」と笑顔で話してくれた彼女に会いたくなって、その朝わざわざゴゴへと向かって行った。

鴨川沿いには桜が咲いて、悲しい心も少しはましになってゆく。あまりに咲き誇った桜を見ると春爛漫の陽気さに乗り切れない自分が置いてかれるような気がして嫌だったけれど、今は少しの桜を見るだけでちょっとは気分が明るくなる。京都はそういうとこがいい。

ゴゴのドアをカランと開けると意外にも店は混んでいて、ああそうだ、ここは朝が一番混むのだったと思い出す。いつも私が座る席には誰かが居たから、いつもとは違うカウンターへと向かっていって、モーニングを注文する。お姉さんがちょっとかまってくれたから、今大変なんだとこぼしてみると、「すんごい元気なさそうな顔!どうしたの~?」と言ってくれる。そうなんだ、そんなに元気なさそうなんだ。

ゴゴには大学院時代、いっつも来ていた訳で、お姉さんはいろんな顔やいろんな事情を知っているからなんだか話が通じやすい。しばらくたって常連さんとの会話の仲間に入れてもらうと、真ん中の席にいたおじさんと話が合って、やろうと思っていたことも手につかぬまま長く語り合ってしまう。

ここに来て感じた魅力のひとつに、常連さんが京都育ちなことがある。私にとって遠い存在の人たちがここにはいつも通って来ている。目の前には自転車すら止まっておらず、多くの人は徒歩で来られる範囲の常連さんだ。そんな彼等に少しずつでも京都の世界を教えてもらって、紅葉や花の名所を教えてもらい、会話に参加させてもらう。そんなことがとても嬉しい。

おじさんはこどもの教育についての話をしていて、京都の名門である「ダム女」と「付属」という私立の学校の違いを説明してくれる。それから留学の話や受験の話、早稲田の話も出てきたなーと思っていたら、留学中の娘さんが政治学にも興味があるということで、それならばとかつて留学していたパリ政治学院について私からも触れてみた。

おじさんはそんな情報を得られたことが嬉しいらしく、店を出る時も「いい話ができてよかった」と挨拶をしてくれた。お姉さんに愚痴を聞いてもらいに来たはずなのに、結局おじさんと教育話にあけくれて、ちょっと感謝すらされてしまった。気づくと私も元気になって、やっぱりゴゴはいいなと思う。こんなにもみんなが自然と触れ合う、そんなカフェは見たことがない。自然な会話、自然な流れ。そしてゆるやかにつながってゆく。

帰りがてら、ゴゴの近くにできたオシャレなカフェを横目に見る。朝からやっているみたいだけれど、まだお客さんは入っていない。そうだよな、この一帯で朝のゴゴに勝つのは厳しいだろうなぁ。だって朝は断然ゴゴがいい。

以前ゴゴで出会ったおばあちゃんは、「この辺の喫茶店に何軒か行ってみたけどねえ、ここが一番元気があって楽しそうだからここに来るんだ」と言っていた。テレビを見ながらニュースについて語り合い、愚痴を聞いてもらってはお姉さんに応援され、マスターが築き上げ、お姉さんが引き継いだ絶品のコーヒーを飲めば、誰だってちょっと元気になってくる。

だからみんな、体調が悪くても、頑張ってでもこの店に通おうとする。ここに来れば、きっと元気になれるんじゃないかと思って。

店のドアをカランと開けて入った時、泣きそうな顔をしていても、店のドアを開けて出る時、「さよなら」は「行ってきまーす」に変わってる。

そんな場がたったひとつでいいから人生に存在すること。

その大切さを教えてくれた。サードプレイスなんて言葉が流行るずっと前から、真のサードプレイスとして機能していた、京都の名店、喫茶ゴゴ。

飯田美樹

◎著者プロフィール

カフェ文化、パブリック・ライフ研究家。街歩きを重ねながら、カフェという場やパブリック・ライフの社会的役割について研究・考察・発信している。