このカフェなしでは生きられない

このカフェなしでは生きられない

地中海と折り鶴

初めて訪れた地中海に浮かぶ島国。12月でも温暖な気候だと聞いていたものの、羽織り物なしでは少し肌寒く感じたその日、あるカフェに出会いました。

ホテルで荷物を降ろした私と友達がまず向かったのはお昼ごはん。マルゲリータピザとキノコのクリームパスタにありつきました。テラス席でお昼からロゼワインを飲めていることににやにやしながら、お腹も膨れたことで、街を散策することにしました。街がまるごと世界遺産になっているここでは、どこを撮っても画になるのはあたりまえ。特に、急な坂に沿って立ち並ぶ家と、縦列駐車の車のラインが綺麗に揃う風景が私のお気に入りでした。ねこが多いことで有名な海沿いでは、4匹のねこがお出迎え。あまりの可愛さと人懐っこさに一緒にいる時間に没頭し、気がつけばスカートの半分がびしょ濡れになっていました。4匹のうちの1匹が最後までお見送りをしてくれ、市街地へと引き返せば、小さな街をぐるっと一周したことになります。
街の中心部へ向かって歩いていると、十字路に差しかかったところでカラフルなラテアートの看板が目に飛び込んできました。私にとって、偶然出会うカフェほどテンションの上がるものはなく、とりあえず近づいてみることにしました。ピンク色はビーツ、⻘はチョウマメ、緑は抹茶……など、色鮮やかなカフェラテはスーパーフードをブレンドしたもののようで……。ガラス張りで自然光の入る明るい入り口と、洞窟につくった隠れ家のような雰囲気を合わせ持ったそのお店に、私たちは吸い込まれていきました。

6名がけのカウンターのみの店内には、オーナーさんと思われる、エスプレッソマシンを動かしている男性と私たちがいるだけでした。カウンターの前には足の⻑めの⻩色いイスが、ガラスケースの中にはクッキーやブラウニー、バナナケーキが、じっと私たちの様子を伺っているように並んでいます。壁に掛かっている黒板メニューを見上げていると、緊張を解きほぐすようにそのオーナーであるリーさんが話しかけてくれました。体格がよく、腕にはタトゥーが入っているリーさんは一見怖そうですが、しっかり目を見て微笑んでくれる落ち着いた雰囲気があります。東京から来たことや、カフェが好きでInstagramもやっていることを話すと、そこに載せてくれるならタダでいいよとサービスしてくれることになりました。思いもよらぬ優しさに友達とふたりで喜びました。この嬉しい出来事をシェアしようと、カフェラテを注いでいる姿をしっかりと目に焼き付け、ラテアートの表面とグラスに映る2層のピンク色の違いが伝わるように写真を撮ります。一口すすると、13時間のフライトで疲れた体にじんわり滲みていきました。ビーツを使ったカフェラテは今まで飲んだことのない少し独特な味で、ただ、独特であるがゆえに「ビーツの味といえばこのカフェラテ」となり、今でもビーツを食べるとこのカフェのことを思い出します。
リーさんはこの街の魅力についても教えてくれました。「ごはんも景色もいいけど、一番は人がいい。人の優しさが素敵な街だよ」。その言葉が、5日間の旅行をずっと楽しみなものにしてくれました。この日は何とかお礼をしようと鞄の中を漁ってみたものの、日本らしいものを持ち合わせておらず……。ただ、幸いにも鶴は折ることができたので(小さいとき折り紙の練習をしていて良かった!)、持っていたメモ帳を破った紙で折り鶴をつくり、「ありがとう」と書いた手紙を添えて渡しました。笑顔で受け取ってくれたリーさんは、手土産にこの土地で有名なハニーリングまで持たせてくれ、私たちを見送ってくれました。

私にとっての「カフェ」は、見た目や味だけでなく、オーナーさんの持つ雰囲気をあらゆるところから吸収し、世界観に浸るための場所です。なぜこのコーヒー豆を選んだんだろう。なぜこのグラスを選んだんだろう。なぜイスは⻩色なんだろう。なぜこの鏡は球面なんだろう……。すべてのものが、意味があってそこにいます。オーナーさんにとって一つひとつのものは特別だろうし、選ばれたものたちはそこにいられてきっと幸せで、その愛のある空間を味わい、自らも関わってみることがカフェの醍醐味です。その楽しさを異国のカフェで感じられたことが嬉しく、リーさんのカフェは、自然と私たちを落ち着いた気持ちにさせてくれました。

5日間の旅を駆け抜け、最終日。街の中心部へと戻ってきました。初日に訪れた時の穏やかな雰囲気に比べると騒がしく緊張した空気が漂った市街地。プラカードを持ち、笛をピーピー鳴らしながら歩く大人たちと⻑い銃を持った警官、一部封鎖された道路。なんとなくデモ活動かなと想像はするものの、見慣れない光景に不安を感じていました。それらの道を避けつつお土産を買い回り、最後に行こうと決めていたのはもちろんあのカフェでした。
リーさんと会うのはまだ2回目なので、覚えてくれてるかな?とドキドキしながら扉を開きます。壁のメニューを見上げると、そのすぐ横の壁に私たちの手紙がピンでとめられていることに気がつきました。さらに、抹茶ラテができるまでのあいだ店内を見回していると、前回私たちが座っていた席の上の棚に折り鶴が飾られていることにも気づきました。まるで「ここにいていいんだよ」と私たちに語りかけてくれているようで、嬉しさが込み上げてきました。
リーさんは、街中で起きていたデモのことについて話してくれました。数年前から続く問題らしく、詳しいことはわからなかったものの、リーさんの落ち着いた声とカフェラテのおかげで、ようやくホッとできました。次々とお客さんが訪れるなかで、リーさんとお客さんが仲良さそうに話している光景をぼーっと見ていると、なんだか微笑ましく、心が温かくなってきました。ああ、自分はもうこの空間にハマってしまったんだなあ、と。ここでの思い出が自分に安心感を与え、ずっと前からこのカフェに通ってきた常連客のようにその光景を見つめていました。

旅行から半年が経った頃、私は妹を誘い出し、地元のカフェを訪れました。到着したのは午後4時。すぐに目に入ってきたのは、オレンジに塗られた窓ガラスを通してより温かみを増して差し込んでくる西日と、柱とメニューブックに使われている深い青色。あのゴッホも大切にしていたオレンジと青の2色。このお店もあえてその2色を使っているのかと思いを巡らせ店員さんに尋ねてみると、お店のデザインのこと、オレンジの光はこの時間帯にあらわれる特別な光だということを教えてくれました。
外出自粛期間を経た久しぶりのカフェに感受性が爆発し、店内の様子をにやにやしながらあちこち眺めていました。すると先ほどの店員さんから、カフェが好きなんですか?と聞かれ、話していくうちに……というのが、今この文章を書くに至った経緯です。

マルタ共和国という国に、Kir Royal Caféはあります。また会うことだってないかもしれない私に、最初からあたりまえのように優しく接してくれたこと。それにお返しして、またお返しされて……。旅先で言語も違うのに、そうしてオーナーさんと関わることができたことが、今までずっと私が大事に思ってきた「カフェ」というものを象徴する出来事になりました。落ち着きもするし、刺激も受ける、私にとっての「カフェ」が、この Kir Royal Caféでの思い出に詰まっています。

冨永寛子

◎著者プロフィール

好奇心レベルが5歳児のままの社会人一年目。モノに感情があったら…を考えるのが好きでよく想像してにやにやしている。カフェ巡りが趣味なのにカフェインが苦手で1日1杯以上は飲めない。