あれやこれやと、悩みが尽きないなら
──カフェに行くことさ!
(ペーター・アルテンブルグ)

20世紀初頭、パリ。カフェは異端者たちの避難所だった。

政治、文学、哲学、絵画、あらゆる領域で、それまでの枠組みに収まらない、新しい感性をたぎらせる者たち。ただしそうした時代を先取りした「異端者」たちへの、社会からの風当たりもまた強かった。彼らが自然と集うようになったのがカフェだった。コーヒー代さえ支払えば、身分や社会的立場に関係なく誰でも受け入れてもらえ、何を考え、それをどう表現しようが、誰からも何も言われない──彼らの求める自由が、そこにはあったからだ。
ピカソ、ヘミングウェイ、アンドレ・サルモン、モディリアーニ、藤田嗣治、マン・レイ、サルトル、ボーヴォワール……。
1人、また1人、カフェへと向かう、まだ何者でもない者たち。彼らは、カフェというゆりかごで同志やライヴァルと出会い、刺激し合い、切磋琢磨し、少しずつ自らの力量を超えることで、時代を切り拓く存在となっていった。

「天才は規則的に現れず、集団として現れることは古代から知られている現象である──シルバーノ・アリエティ『創造力』」
時代に力ある<場>が生まれたとき、それは才能を受け止め、育む孵卵器となる。後に生きる我々は、「なぜあれだけの偉大な人物たちがこぞってみな、あの時代、あの場所に集っていたのだろうか」と考えるが、それはむしろ捉え方が逆で、そこに力ある<場>があったからこそ、そこに集った人々が、それぞれ後に名を知られるくらいの偉大な人物へと育っていったとも考えられるのだ。
20世紀前半のパリのカフェはまさにそれだった。

本書は、「天才」たちの残した自伝的記録を中心に、カフェとそこに集った人々の相互作用の記録を丹念かつ克明にたどり、力ある<場>がどのようにして生まれ、変遷し、いかに人、文化、時代を創っていったか、その過程を明らかにするものである。ただしそれは「100年前に起こった出来事」を過去として伝えるものであるだけではない。自由な<場>が、自由な発想を持つ者と出会い、そこで絶妙な相互作用を起こしたときに、途方もない創造を顕現させることがあるのだと、その可能性を未来へと語るものでもある。
カフェをつくる者、カフェに通う者、カフェを愛するすべての者たちへ、100年前のパリから贈られるメッセージ。
「カフェから時代は創られる」のだと、混迷する現代に、一筋の光明を示す一冊。



作品情報

カフェから時代は創られる

2020年8月30日発行
1,800円(税抜)

著者 飯田美樹
装幀 atelier yamaguchi(山口桂子、山口吉郎)
印刷 藤原印刷株式会社
表紙加工 東洋FPP株式会社
製本 加藤製本株式会社

判型 四六版変形 416ページ
ISBN 978-4-99075835-6 C0070


著者プロフィール

飯田美樹(いいだ・みき)
カフェ文化、パブリック・ライフ研究家

学生時代、環境活動をしている若者が集う場づくりを通じて、社会が変わる場とは何かに深い関心を抱く。大学3年の時パリ政治学院に留学し、1日3回カフェに通う。パリのカフェには芸術家が集っただけでなく、フランス革命も関係していたと知り、研究を開始。帰国後、大学院に通い、「天才たちがカフェに集ったのではなく、カフェという場が天才を育てたのでは」という視点で研究をすすめ、2008年に『caféから時代は創られる』を出版。現在は、街なかでリラックスした時を過ごせるインフォーマル・パブリック・ライフの重要性と、オープンカフェがいかに街の活性化に役立つかという視点で2冊目の本を執筆中。かつてのカフェのように世界の先端の知に出会い、議論し、つながれる場を創ろうと、オンラインで“World News Café”を主催している。

Paris-Bistro.com日本版代表
東京大学情報学環 特任助教
https://www.la-terrasse-de-cafe.com

本を、1冊丸ごと理解する必要は必ずしもないのです。
ある1行や、ある1ページとの出会いから
人生が大きく動き出すことだってあるのですから。
『カフェから時代は創られる』はいかがでしたか。
もしよろしければ、お気に入りの1ページをポケットに入れて(選んで)
まちへとくり出してみませんか。
いつもの風景だって、少しだけ違って見えるかもしれません。

私もページをポケットに入れる

山口吉郎さん

←ポケットに入れたページ: P206

モディリアーニの家での祝宴にリビオンが訪れた際、家具や食器が一式ロトンドのものであることを発見する。この後のリビオンの優しさ、懐の深さ。イタリア人でありパリでは外国人であったモディリアーニの、35年の生涯が多くの困難を抱えたものであったことはよく知られているところですが、その辛い生活の中で、このエピソードの瞬間はとても幸福な時であったであろうと感じます。モンパルナスの女王キキが記したこのエピソードは、貧乏な芸術家にとってのカフェの存在の大きさを感じさせながら、ひとつの芸術的な達成より、美しいシーンであると思うのです。


コーヒーよりも紅茶派ですさん

←ポケットに入れたページ: P382

「パリのビストロとカフェのテラスを世界遺産に」という動きがあることを初めて知りました。確かにそうされておかしくないなと思いましたし、そうすべきですね!コロナ禍にあって、自宅でも職場でもなく、ふらっと出かけられて人と出会えて、他愛もないおしゃべりのできる場所のありがたさを身に沁みて感じます。でもその価値は見えにくい分、簡単に失われてしまうのかもとも…。自分もまずは近くのカフェに通うところから。それがどれだけの力になるのかは分かりませんが。


カフェをやっている者ですさん

←ポケットに入れたページ: P139

お客さんの最期をお見送りするのも、カフェの仕事なのだと胸が熱くなる。その瞬間に、時間にしたら数秒かもしれないような時間に、サルトルとクーポールの40年が凝縮しているのでしょうね。そのような関係性を自分もお客さんと築けたらと思うし、望み得るなら自分もそんな風におくられたい。


月の子さん

←ポケットに入れたページ: P41

このページの末尾から次ページへと続く、「力量を示すということ、それは常に自己の力量を少し超えることです」という文章は、いつも自分の指針になっています。それは1ミリでもいいんだろうと思います。少しでも昨日までの自分を超えていくこと。何かを成し遂げられる人がいるとするなら、それはそのことを一心に続けられる人なんだろうと思います。


大畑純一さん

←ポケットに入れたページ: P203

「またフロールのブバルも、客たちの書いた哲学書は一冊も読んだことがないそうである。」 ついつい、お客さんを目の前にしたときに所属や仕事といった社会的な”役割”から入りそうになります。だけど、ここはカフェなんだ。いまここにいるその人と、意味のない話をしよう、そう思えました。


私もページをポケットに入れる